2011/10/22

遺影

先日エンディングノートという映画を見てきました。
がん宣告されたお父さんが書いたエンディングノート(死後誰に連絡をして欲しいなど段取りリスト)
そしてお父さんの最後の瞬間までを家族と共に撮り続けたドキュメンタリー映画です。
撮影、監督は実際の娘さん。
家族というもの、そしてその家族一人一人の役割を感じる作品でした。

私は昨年、祖父を亡くしたときの自分の経験と照らし合わせながら見ていました。

祖父、その前年に亡くなった祖母の遺影は自分が撮影した写真を使いました。
と、言ってもちゃんと遺影用に撮ったものではなく誕生日などのお祝いの際に自宅で撮った
家族写真でした。

祖母が亡くなったときには数ある家族写真から祖父に祖母らしいと思う写真を選んでもらい、
祖父が亡くなった時は両親と写真を選びました。
奇しくも選んだ写真は祖母の遺影に使ったのと同じ家族写真になりました。

通常葬儀屋さんに家族写真を渡すと切り抜いて遺影にしてくれるわけですが、
考えてもいないところで自分の仕事が役に立つ物で、切り抜きは自分でやりました。

それだけでなくあごの下の影を薄くしたり、髪を少し整えたり。
死に化粧ならぬ遺影化粧とでも言いましょうか。

お香典返しの中に入れる冊子の表紙写真なども自分で撮影した写真を使って印刷まで
しまして、まさかこんなカタチで祖父、祖母に最後に関わり、
すこしはおじいちゃん、おばあちゃん孝行出来たのかな?と。

普段顔の修正などはしないのですが、このときばかりは修正したり出来る
自分で良かったとちょっと思ったものです。

沢山写真が残っていると色々な思い出がよみがえってきて辛いときもありますが、
その倍その写真を見て色々な人が自分が知らない思い出話をしてくれたりします。
そんなときやっぱり沢山写真を残しておいて悪いことはないと思ったりします。


お香典返しの中に入れた写真